Yuixxx’s blog

Y.O.L.O こころのままに

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目標を持ちなさい

と子供の頃からずっと言われてきました。

親というよりは、先生などの周りの大人に。

 

私の目標って何ー?

今日はご飯を食べすぎないようにするとか⁈

ってのを割と真剣に悩んで、でも答えは出なくて、教えてくれる人もいなくて、自分も聞かなくて、大人になりました。

 

答えは本が教えてくれました。

 

子供の頃の私には目標の前に目的がなかったということを。

 

していたはずの、こうなりたい、こういう人になりたいという大人の自分の想像をもっと感じていれば、

きっと自然に目先の目標が浮かんで、目標クリアして、また浮かんでを繰り返して、なりたい自分になれてたんじゃないかなーと。

 

私には子供がいます。

子供には、自分のワクワクする未来を自分で想像して、それに向かって突き進んでほしいです。

7

仏教の萬話で好きなものがあります。

“三尺三寸箸”です。

 

ある男が地獄と極楽の見学に行くお話です。

ちょうどお昼時で、ご飯を食べている最中でした。

地獄では、贅沢なご馳走が机に並べられていました。

しかし、罪人はみんなガリガリに痩せています。

男は、食べる時の様子を見て原因がわかります。

箸が1メートル以上もあるのです。これでは掴めても口まで運べません。

次第に人の掴んだものを奪おうと争いが起きます。

 

次に極楽へ行きました。

極楽ではみんなふくよかで、肌も艶やかです。

さすが極楽だな…と思った矢先、ある物が目に入ります。

それは地獄でみた1メートル以上のお箸です。

地獄と同じ物でした。

極楽では、箸で物を掴み、「どうぞ」と自分の向こう側の人の口へ食べ物を運びます。

今度は「あなたは、何か食べたい物はありますか?」と逆に食べさせてくれた人へ聞き返します。

 

男は極楽の人は心がけが違うと感心するというお話です。

 

このお話では、地獄と極楽は全く同じ設定です。ただ違うのは、“人の在り方”です。

 

これは、私たちにも言えることです。

自分が今どちらの住人か考え直すのにいいお話だなと思いました。

 

 

5

”幸せとは感謝すること”

 

私の座右の銘です。

 

私は落ち込んだ時、小さな幸せ、当たり前に目を向けます。

 

雨風しのげる家がある。

あったかいご飯を食べられる。

布団で寝れる。

泣いてると「大丈夫?」と声をかけてくれる人がいる。

笑える。

美味しいと思える。

将来を想像することができる。

命がある。

 

何でもいいのですが、とにかく小さな当たり前の幸せに目を向けます。

すると、ジワーっと心があったかくなります。

これをすると、悲しかったことや、辛いことが少し和らいで、自分の心の声を聞ける余裕ができます。

 

そこから、自分はどうしたいのか考え、根本の問題に向き合います。

 

全ては感謝することで始められる。

 

ありがとうは無敵です。

 

 

4

脳が私たちを動かすのではなく

私たちが脳を動かす。

 

 

そういうことは、ずっとスピリチュアルの世界の話だと思っていましたが、

 

実際に思い込むことで強くなれることも、弱くなることもあります。

 

ストーカー事件などで心痛くなるニュースもありますが、この事件に至る原因も脳。脳を勘違いさせて起こる事件も多いです。

 

私たちが、自分の1番の味方であり、その自分のために優しく、強いことばをかけることで、脳はその状態を維持しようとする。

 

自分にかけることばは、誰にかけることばよりも優しくありたいと思います。

3

人は生まれてから使うための

“時間の金貨”を持ってると本で読んだことがあります。

 

時間の金貨は貯めておくことができません。

無理に貯めようとすると、「忙しい」が口ぐせになり、最後は体や心を壊すそうです。

 

今過ごしている時間に金貨を使うなら、あなたは何に使いますか?

 

ぼーっと過ごすのも

お友達とワイワイするのも

家族とゆっくりするのも

自分のために使うのも

人それぞれなんでもアリです。

ただし、自分の気持ちがいいのなら。

 

嫌なことを無理にしようとしていませんか?

他人のことでイライラしていませんか?

今、あなたが使っている金貨は価値があるものですか??

 

どうせお金を使うなら、欲しい物や食べたい物自分が良いと思うものにつかいませんか??

時間の金貨も同じだと思います。

 

私も、少しでもいい時間の金貨の使い方をしたいです。

 

2

妥協する ということ。

 

ずっと、妥協するって諦めるとか、譲るとかネガティブに思ってました。

 

最近読んだ本で

 

妥協するというのを

Let's meet in the middle.

と訳したイギリスの方がいたそうで。

 

“お互いの真ん中で会いましょう”

素敵だなと思いました。

 

そしてそこには、やはり“ことば”が必要で。

人間はことばが話せます。

なのに、発達した脳の機能で変に自分だけで先を予測します。

 

分かってもらえない。

どうせ言っても同じ。

 

相手の方と真ん中で会うには

相手の方の真ん中を知る必要がある。

そのために、あなたを理解したいという想いをのせて、暖かいことばを使う。

 

 

私もたくさんの方と真ん中で会いたいな˚✧₊⁎